山形県民主医療機関連合会
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大震災被災地支援活動記

 

~希望は作りだすことができる~

~希望は作りだすことができる~
 
東日本大震災で被害を受けた宮城県松島市に現地入りし、松島医療生協に全日本民医連の支援拠点を立ち上げるとりくみに参加して活動した、山形県民医連の守岡等事務局次長の活動記です。
 
 
 
陸地の方向に根こそぎ倒れていた海岸の松林

陸地の方向に根こそぎ倒れていた海岸の松林(3月30日東松島市で撮影)

 
   
絶望は外からやってくるが、希望は自分たちでつくり出すことができる
 
  3月28日(月)から4月3日(日)までのほぼ一週間、東日本大震災で壊滅的被害を受けた松島地区にある松島医療生協に詰めてきました。この一週間、絶望、希望、無力、協同といった様々な価値観をめぐって右往左往したような気がします。日中は様々な業務に追われ、必死に働いていましたが、夜間、布団の中では言葉にできない不安におそわれ、学生時代に深く心に刻んだ大江健三郎の「ヒロシマノート」やサルトルの「嘔吐」、ヤスパースの哲学書、フランクル「夜と霧」の記憶を引きずり出しては、くじけそうになる自分を励ましていました。それぞれ絶望の中でどう生きるかを主題にして書かれたものです。日本はどうなるのだろう、こんな状況から立ち直ることができるのだろうか、そんなことばかり考えていたので夜はほとんど眠れなかったのですが、日中の環境は「眠い」などといえる状況ではありませんでした。
 

戦後最大の災難-ヒロシマに匹敵する被災
 
  私たちが担当したのは松島でも最も被害が大きい鳴瀬地区でした。松島医療生協のデイサービスセンターはかろうじて二階が残ったものの、一階は壊滅状態、津波の被害で3名の職員、11名の利用者が犠牲になりました。
この鳴瀬地区を訪問するにあたり、事前見学に行きましたが、ある看護師さんは「こんな中で一体何ができるのだろ」と泣き出したほどでした。
津波の威力がいかほどかは、写真をみていただけると分かると思いますが、一面がれきの世界、がれきの下には多くの犠牲者が眠っている状況に、一体この怒りを誰にぶつければいいのか、いままで味わったことのない無常観におそわれました。
この壊滅状態の鳴瀬地区の住民Aさんに、「住居が残っている地区」をリストアップしていただき、地図に落とし訪問行動に取り組むことになりました。
訪問では、後片付けのために避難所からやってきた人や、2階に住んでいる人などもいて、半分近くの住民と会うことができ、診療所の患者さんで薬が届かなかった人に薬を届けることができたり、診療所を受診するという目に見える形で成果が上がってきました。マスクや軍手など物資を喜ばれる事例も多数ありました。
そして、多くの方たちが肉親を失っている現状に対し、具体的にかける言葉はみつからないが、むしろ地域の人々に励まされている自分というものを認識することもできました。
 

組合員さん、職員との協同
 
  ある組合員さんは、津波に流され、かろうじて流れてきた民家の屋根に上がって助かることができたが、がたがた震えながらも夜空はこんなにも星がきれいなのかと感動したそうです。流される水の中でつないだ手がはずれた、家の中で顔まで水が来たがカーテンレールに必死にしがみついて助かった、五人家族のうち大人は仕事に行っていて助かったが子どもが死んだ、など極限状態の話をいくつも聞かされました。いまは必死に生きることに精一杯ですが、だんだん緊張がとれて疲れが出て、悲しみが増してくるのが被災一カ月後ではないかと思います。その面でのケアが重要になると思われます。
また、地元の組合員さん・職員も自ら被災しながらも家には帰らず連日被災者対応を図っている役職員がいました。おかげでかなり早期に通常診療に近い形を取ることが可能になりました。また、私たち支援者に対し、「だまってはいられない、全国から支援に来ているのだから、私たちも何かできることをしたい」と昼食の炊き出しを理事長が先頭に立ち、多くの組合員さんが協力してくれました。地域訪問の地図づくりを手伝ってくれた理事さんは、自身の家も流されたことを後日知りました。歯科のI先生は退職したにもかかわらず、歯科支援のために連日対応してくれていました。
多くの方たちが献身的に診療所に結集していましたが、ここにこれからの日本の復興のヒントがあるような気がします。はずかしながら最初は一面がれきの大地に呪いの言葉を叫んでいた自分でしたが、こうした協同の取り組みを目の当たりにして、一歩ずつみんなで相談しながら、手を取り合ってやっていくしかないんだということを認識しました。
災害支援は長期的なものになりそうです。天の救いはありません。一つずつがれきを払い、道をつくっていくしかありません。その途中で遺体をみつけたら共に悲しみ涙するしかありません。でもみんなで歩む道ならば悲しみや絶望も乗り越えられるような気がします。冒頭の言葉、-絶望は外からやってくるが、希望は自分たちでつくり出すことができる-を体現していきたいと思います。
 
山形民医連 事務局次長 守岡 等
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